いつ死んでもいい、といつも思ってる
僕は多分、死ぬことに躊躇がない。
というか、失うことに躊躇がない。期待がないから、得ることにも興味がない。
ある朝、目が見えなかったことがある。
起きてみたら目の前が真っ白だった。目をこすっても、瞬きしても、何も見えなかった。
ああ、失明したか。
そう思った。
次の瞬間、「まあいいか」と思った。
目が見えなくてもできることがあると思った。
とりあえず、妻に何をどう話せばいいだろう、と思った。
そこは出張先のホテルのシングルルームでもあったから。
僕は、失ったものにこだわらなかった。
手探りでPCを探したけれど、ああもう見えないから意味がないのか、と思った。
だとすれば、携帯電話で話さなければ、と思った。けれども、携帯電話がどこにあるのかもわからない。
さあ、何をどうすればいいだろうか、と、見えぬ目を開いたままで考えていた、
目覚めて十分くらいが過ぎて、次第に光が戻ってきた。
後から知ったのだけれど、寝る間際にスマホなどの光源を見ていると、目覚めた時に瞳孔がうまく機能しなくて、何も見えなくなるときがあるそうだ。
僕もその状態だっただけのようだった。
結局、僕は今も目が見えている。
ただ、この時の経験は、僕にとって慧眼だった。
失った時に、うろたえなかった僕がいる、というだけで、僕は今生きていく自信を得ている。
どんな状況で死にかけたとしても、多分、僕は笑って死ねる。
苦痛は嫌だけれど、死ぬこと自体に対して、多分「まあいいか」と思いながら死ぬだろう。
自ら死のうとは思わないけれど。