話の束

本業のかたわら、たまに本も書いています。それとは別で、きままにエッセイとか小説とか、ぽろぽろと書いてみたいと思いました。

マイナちゃんとくーちゃん

「あなた、くーちゃんって知ってる?」

 食卓で少し得意げに質問してくる妻。

 それに対してふふん、と鼻で笑う私。

「マイナちゃんの犬のことだろ?知らなかったのかい?ふふん。」

 そう答えた時の妻のしてやられた、という顔が目に浮かぶようだ。

 そンな妄想をしながら、あえて隣の奥さんとマイナちゃんに少し遅れて家に戻る。マンションの共有廊下で後をつける形になるのが嫌だからだ。

 

 そうして誰もいない共有廊下から自宅の扉を開く。

「ただいま。」

「はーい、今洗濯物とりこんでるからお風呂入っててー。」

 ベランダから妻の声がした。

 いやな予感。

 しかしまあ、風呂に入りたかったのも事実だ。いつものように替えの下着とバスタオルが用意されている。

 入浴剤はにごり湯シリーズだ。うんうん。

 ゆったりと湯船でくつろいで部屋に戻る私。

 食事は既に準備されており、妻がビールを両手に台所から顔を出した。

「あなた、マイナちゃんと一緒だったんですって?」

 くすくすと笑う妻。

 愕然とする私。あわててとっておいた情報をひけらかそうとするが、言葉がうまく出てこない。

「あ、いや、くーちゃん…」

 ビールを一本空け、私のグラスにそそぐ妻。

「ああ、隣の犬ね。ミニチュア・ダックスフントでしょ?二週間前くらいから飼ってるみたいね。あなた犬嫌いだっけ?」

 私のグラスにビールをつぎおわり、自分のグラスに注ぐ妻。

 今日来たと思っていたけれど、そうじゃなかったのか。なんだ、それは。一言ぐらい隣に挨拶があってもいいじゃないか。

「いや嫌いじゃないけど…」

 かろうじてつぶやく。自分の表情はよくわからない。

「じゃ、管理人さんに余計なこと言わないでね。私犬好きなんだから。」

 ちん、とグラスを合わせる妻。あわててグラスを手に、飲み干す私。風呂上りの一杯は本当にうまい。いやそうじゃない。

 そう思いながら妻の顔をみると、やはりくすくす笑っている。

 マイナちゃんにかなわない私は、もちろんのこと、妻にかなうわけがないのだった。